2012年04月27日 05:42
万博・日本庭園 汎庵茶事講座 最終回
桜・さくら 透木釜にて正午の茶事

お約束の三年間18回の茶事講座が終了しました。
最終回はきちんと正午の茶事でしめくくりをさせていただきました。
待合の掛け物は「百花為誰開」、何度か説法を拝聴させていただいた東福寺の慶道和尚の墨蹟です。
花は誰のためにとか、何のためにという、見返りを期待したり、図りごとをするのではなく、時期がきたら自然に花が開く。それは宇宙にしらしめす仏心の表れであるということでしょうか。
人生は山あり谷あり、いろんなことがあるけれど、自然に道は開かれてゆくのだから、花のように無心に時節を待ちましょう。
初座の床には「歩々起清風」、紹尚和尚の墨蹟を掛けました。
三年前に谷町のビルの中の茶室『峯風庵』を閉める、最後の茶事の勉強会のときの床に掛けてあったものと同じですねと、ご参加いただいた方からメールをいただき、とてもうれしく思いました。
茶の道、人の生きる道。歩みを進めたその後には清らかな風が吹くような、そんな毅然とした美しく潔い生き方をしたいものです。
節目節目に、掛けたいお軸です。
茶席の禅語からは、いつも生きる勇気をいただくとおっしゃった方ががいらっしゃいましたが、私もそんな風に、思える二つの禅語を掛けさせていただきました。
三年前、ある仕事を無理して請けてしまったことで、バランスを崩してしまい、谷町の私にとっては贅沢な茶室空間を維持してゆくことができなくなり、お茶はやめるか10年くらいは封印しようと覚悟を決めたときに、汎庵のお話をいただきました。
お茶が私を呼び戻してくれたのかもしれません。
そのとき、お茶をやめていたら、今の峯風庵の本拠地、重要歴史的建造物群保存地区じないまちとの出会いもなかったことでしょう。日本文化の集大成である茶道を通じて、これからの人々の生き方や持続可能な社会や地球のことを考える、そんなメッセージを発信してゆける場として、じないまちは最適の場、不思議なご縁で私の前に現出しました。
私の求める利休の時代の創造的なお茶の世界は、現代のきらびやかで型にはまったお茶の世界から見るとマイナーなのかもしれません。マイナーなりの苦労は、まだまだ背負ってゆかなければならないと思っていますが、信念は曲げません。
お茶の本質を理解できる人、真摯に茶の道を歩む人なんて、弟子が100人いても一人か二人ですよと言われていましたが、弟子を取らず社中も持たない私の講座に、何かと多忙なときに、最終回36名の方が集ってくださいました。三年前の初回にフランスからの一時帰国をあわせてくださった方も、最終回に顔を見せてくださいました。懐かしいお顔、毎回決まっていらして下さる方、岐阜や三重など遠方より起こしいただいた方も。本当にうれしいことでした。
最終日は、ベテランさんではなく可愛い亭主さん、正客さん(私も最後まで楽をしないで、できる限りのこととさせてもらい、汗流そうと。笑。)を選びました。しっかり務めてくださった亭主さん、はじめてのことで少し戸惑われたかもしれない正客さんの目には涙が。そして、あちこちで、涙。最後には、がんばった亭主への大きな拍手。こんなに感動できることって、お茶ならではですね。やっぱり、お茶って、素敵です。

最終回は、4月の桜の季節にやってきました。
桜に託して、日本人の心を伝える講座に出来たことを、幸せに思いました。
参加者の方々とともに茶事の世界は作ってゆきますので、三日間同じ話しはできなかったかもしれませんが、講話「桜と日本人」を少し、紹介させていただきます。
大和言葉で「さくら」の「さ」は神様の美しい魂。「くら」はその魂の宿るところという意味があるそうです。満開の桜を見ると、まさに神々しいまでの美しさです。
桜前線が動き出すと、なんとなくそわそわ。
寒くても暖かくても、大阪では入学式の頃には、きちんと桜の花が咲いてくれます。
そして、短い期間ですが、満開の桜で視界がピンクの幸せ色に染まります。
いやなことやつらいことがあって魂が壊れそうになることも。でも、一年に一度のこの桜の季節には、なんだか命の洗濯が出来て、すっかりきれいに蘇る、そんな気持ちになります。
春に咲く桜は命の生のシンボルであり、また、さっと散りゆくさまに潔い死を思います。日本人の死生観には独特のものがあり、生と死は対立する概念ではなく、つながりの中で理解されていて、生と死を思わせる桜に象徴されているかのようです。
本居宣長
「敷島の大和心を人問わば朝日ににほふ山桜かな」
西行法師
「願わくば花の下にて春死な武曽の如月の望月の頃」
松尾芭蕉
「さまざまの事おもひ出す桜かな」
日本人の心を現した桜の歌をご紹介しながら、日本人の桜に寄せる気持ちを探ってみました。
日本は戦争という過ちを犯し、軍国主義に利用された桜(武士道の潔い死)でしたが、敗戦の泥沼から立ち上がったとき、日本は世界各国に桜の木を贈りました。美しい桜の花を通じて、日本人の感性や美意識が世界に受け入れられてゆきました。
でこんな講話をしてきましたのは、茶事はご飯を食べてお茶を飲むことではなくて、亭主と客とで一期一会を作り出すことです。(裏方はしっかり亭主のおもてなしを支えることで修行となります)これまで生きてきた全人生、全人格をかけて茶室に座り、すばらしい時空を作り出すことで互いに高めあう。それが茶事ですが、茶事となると皆さん無口になってしまわれるので、例題としてこんな話しで茶事の世界が広げられたらいいですねという気持ちもあって、毎回いろいろなお話をさせていただいておりました。
今回は、皆さんの桜の思い出話や生き方のお話も少しお聞きできて、今まで見えなかったお人柄にも触れることが出来ました。三年の成果かなとちょっとうれしい。
さてさて、茶事の進行を。
露地では、鶯が「ホーホケキョ』と見事に啼いています。拍手してあげたいくらいに上手です。雨にぬれた緑も美しく、心が洗われてゆくようです。
初座のご挨拶を一人一人、交わし、初炭手前。

透木釜の姿が宇宙船のように見えて、狭い茶室は実は宇宙と同じくらい広く大きな世界を作り出すことができるという師匠の言葉が浮かびました。
香合は、山桜。山桜の花言葉は「あなたに微笑む」です。前回の茶事講座の後、参加者の方から、お葉書をいただいていました。「先生のお茶には、そこに愛はありますかと、いつも問いかけられているような気がする。」と。はい、いつも思いっきり微笑んでいるつもりですが、皆さんが受け止めてくださっているかどうか。笑。
懐石は、煮物椀に桜餅の形をした鯛の桜葉蒸しを用意しました。お椀は懐石の煮物椀を代表する三つの椀のうちの一つ、時代の吉野椀です。(後の二つは正法寺椀、秀平椀)

春の野遊びの趣向で、時代の重箱に、豆腐の木の芽田楽(焼き物)と強肴を2種盛り込んでお出しするとワッと歓声が上がりました。

主菓子は、浮島という蒸し菓子です。卵と白餡と少々の粉で作ります。季節に合わせて色も変えてゆきます。浅い春の頃には、淡い色で、春が深まったこの頃には少し濃い目の緑とピンクで華やかさを出したほうが気分かなと。

中立の後、後入り。
床の花は、吉野桜の一枝を、時代根来の隅切り盆に載せて。名残の桜、そして、まもなく命を果てる桜です。水は入れずに置きました。生と死の輪廻を感じていただければ。


濃茶茶碗は、『遊心』という銘を付けて師匠からいただいたものです。私のお茶の原点になっているものです。
後炭の後は薄茶。

もうすぐ茶事が終わってしまうと、名残惜しい気持ちの薄茶にできるかどうかは亭主の力量。いつもは、大人数なので半東さんに水屋から点出しをお願いするのですが、今回は最終回、少しでも皆さんと一緒に茶室で過ごしていただきたくて、亭主に大服に点てていただいて、一服づつにしていただきました。
干菓子はいずれも手づくり。相変わらず、ちょっと遊んで盛らせていただきました。桜川のイメージです。

最後のご挨拶では、それぞれに感じたことを自分の言葉で表していただき、いい茶事になりました。
メールやお手紙、お葉書をいただきました皆さま、ありがとうございました。みんな私の宝物箱に入ります。
悔いの残らない最終回を迎えることが出来ました。
皆さまに感謝。
桜・さくら 透木釜にて正午の茶事

お約束の三年間18回の茶事講座が終了しました。
最終回はきちんと正午の茶事でしめくくりをさせていただきました。
待合の掛け物は「百花為誰開」、何度か説法を拝聴させていただいた東福寺の慶道和尚の墨蹟です。
花は誰のためにとか、何のためにという、見返りを期待したり、図りごとをするのではなく、時期がきたら自然に花が開く。それは宇宙にしらしめす仏心の表れであるということでしょうか。
人生は山あり谷あり、いろんなことがあるけれど、自然に道は開かれてゆくのだから、花のように無心に時節を待ちましょう。
初座の床には「歩々起清風」、紹尚和尚の墨蹟を掛けました。
三年前に谷町のビルの中の茶室『峯風庵』を閉める、最後の茶事の勉強会のときの床に掛けてあったものと同じですねと、ご参加いただいた方からメールをいただき、とてもうれしく思いました。
茶の道、人の生きる道。歩みを進めたその後には清らかな風が吹くような、そんな毅然とした美しく潔い生き方をしたいものです。
節目節目に、掛けたいお軸です。
茶席の禅語からは、いつも生きる勇気をいただくとおっしゃった方ががいらっしゃいましたが、私もそんな風に、思える二つの禅語を掛けさせていただきました。
三年前、ある仕事を無理して請けてしまったことで、バランスを崩してしまい、谷町の私にとっては贅沢な茶室空間を維持してゆくことができなくなり、お茶はやめるか10年くらいは封印しようと覚悟を決めたときに、汎庵のお話をいただきました。
お茶が私を呼び戻してくれたのかもしれません。
そのとき、お茶をやめていたら、今の峯風庵の本拠地、重要歴史的建造物群保存地区じないまちとの出会いもなかったことでしょう。日本文化の集大成である茶道を通じて、これからの人々の生き方や持続可能な社会や地球のことを考える、そんなメッセージを発信してゆける場として、じないまちは最適の場、不思議なご縁で私の前に現出しました。
私の求める利休の時代の創造的なお茶の世界は、現代のきらびやかで型にはまったお茶の世界から見るとマイナーなのかもしれません。マイナーなりの苦労は、まだまだ背負ってゆかなければならないと思っていますが、信念は曲げません。
お茶の本質を理解できる人、真摯に茶の道を歩む人なんて、弟子が100人いても一人か二人ですよと言われていましたが、弟子を取らず社中も持たない私の講座に、何かと多忙なときに、最終回36名の方が集ってくださいました。三年前の初回にフランスからの一時帰国をあわせてくださった方も、最終回に顔を見せてくださいました。懐かしいお顔、毎回決まっていらして下さる方、岐阜や三重など遠方より起こしいただいた方も。本当にうれしいことでした。
最終日は、ベテランさんではなく可愛い亭主さん、正客さん(私も最後まで楽をしないで、できる限りのこととさせてもらい、汗流そうと。笑。)を選びました。しっかり務めてくださった亭主さん、はじめてのことで少し戸惑われたかもしれない正客さんの目には涙が。そして、あちこちで、涙。最後には、がんばった亭主への大きな拍手。こんなに感動できることって、お茶ならではですね。やっぱり、お茶って、素敵です。

最終回は、4月の桜の季節にやってきました。
桜に託して、日本人の心を伝える講座に出来たことを、幸せに思いました。
参加者の方々とともに茶事の世界は作ってゆきますので、三日間同じ話しはできなかったかもしれませんが、講話「桜と日本人」を少し、紹介させていただきます。
大和言葉で「さくら」の「さ」は神様の美しい魂。「くら」はその魂の宿るところという意味があるそうです。満開の桜を見ると、まさに神々しいまでの美しさです。
桜前線が動き出すと、なんとなくそわそわ。
寒くても暖かくても、大阪では入学式の頃には、きちんと桜の花が咲いてくれます。
そして、短い期間ですが、満開の桜で視界がピンクの幸せ色に染まります。
いやなことやつらいことがあって魂が壊れそうになることも。でも、一年に一度のこの桜の季節には、なんだか命の洗濯が出来て、すっかりきれいに蘇る、そんな気持ちになります。
春に咲く桜は命の生のシンボルであり、また、さっと散りゆくさまに潔い死を思います。日本人の死生観には独特のものがあり、生と死は対立する概念ではなく、つながりの中で理解されていて、生と死を思わせる桜に象徴されているかのようです。
本居宣長
「敷島の大和心を人問わば朝日ににほふ山桜かな」
西行法師
「願わくば花の下にて春死な武曽の如月の望月の頃」
松尾芭蕉
「さまざまの事おもひ出す桜かな」
日本人の心を現した桜の歌をご紹介しながら、日本人の桜に寄せる気持ちを探ってみました。
日本は戦争という過ちを犯し、軍国主義に利用された桜(武士道の潔い死)でしたが、敗戦の泥沼から立ち上がったとき、日本は世界各国に桜の木を贈りました。美しい桜の花を通じて、日本人の感性や美意識が世界に受け入れられてゆきました。
でこんな講話をしてきましたのは、茶事はご飯を食べてお茶を飲むことではなくて、亭主と客とで一期一会を作り出すことです。(裏方はしっかり亭主のおもてなしを支えることで修行となります)これまで生きてきた全人生、全人格をかけて茶室に座り、すばらしい時空を作り出すことで互いに高めあう。それが茶事ですが、茶事となると皆さん無口になってしまわれるので、例題としてこんな話しで茶事の世界が広げられたらいいですねという気持ちもあって、毎回いろいろなお話をさせていただいておりました。
今回は、皆さんの桜の思い出話や生き方のお話も少しお聞きできて、今まで見えなかったお人柄にも触れることが出来ました。三年の成果かなとちょっとうれしい。
さてさて、茶事の進行を。
露地では、鶯が「ホーホケキョ』と見事に啼いています。拍手してあげたいくらいに上手です。雨にぬれた緑も美しく、心が洗われてゆくようです。
初座のご挨拶を一人一人、交わし、初炭手前。

透木釜の姿が宇宙船のように見えて、狭い茶室は実は宇宙と同じくらい広く大きな世界を作り出すことができるという師匠の言葉が浮かびました。
香合は、山桜。山桜の花言葉は「あなたに微笑む」です。前回の茶事講座の後、参加者の方から、お葉書をいただいていました。「先生のお茶には、そこに愛はありますかと、いつも問いかけられているような気がする。」と。はい、いつも思いっきり微笑んでいるつもりですが、皆さんが受け止めてくださっているかどうか。笑。
懐石は、煮物椀に桜餅の形をした鯛の桜葉蒸しを用意しました。お椀は懐石の煮物椀を代表する三つの椀のうちの一つ、時代の吉野椀です。(後の二つは正法寺椀、秀平椀)

春の野遊びの趣向で、時代の重箱に、豆腐の木の芽田楽(焼き物)と強肴を2種盛り込んでお出しするとワッと歓声が上がりました。

主菓子は、浮島という蒸し菓子です。卵と白餡と少々の粉で作ります。季節に合わせて色も変えてゆきます。浅い春の頃には、淡い色で、春が深まったこの頃には少し濃い目の緑とピンクで華やかさを出したほうが気分かなと。

中立の後、後入り。
床の花は、吉野桜の一枝を、時代根来の隅切り盆に載せて。名残の桜、そして、まもなく命を果てる桜です。水は入れずに置きました。生と死の輪廻を感じていただければ。


濃茶茶碗は、『遊心』という銘を付けて師匠からいただいたものです。私のお茶の原点になっているものです。
後炭の後は薄茶。

もうすぐ茶事が終わってしまうと、名残惜しい気持ちの薄茶にできるかどうかは亭主の力量。いつもは、大人数なので半東さんに水屋から点出しをお願いするのですが、今回は最終回、少しでも皆さんと一緒に茶室で過ごしていただきたくて、亭主に大服に点てていただいて、一服づつにしていただきました。
干菓子はいずれも手づくり。相変わらず、ちょっと遊んで盛らせていただきました。桜川のイメージです。

最後のご挨拶では、それぞれに感じたことを自分の言葉で表していただき、いい茶事になりました。
メールやお手紙、お葉書をいただきました皆さま、ありがとうございました。みんな私の宝物箱に入ります。
悔いの残らない最終回を迎えることが出来ました。
皆さまに感謝。
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