# 西行法師と桜 弘川寺茶会&峯風庵夕去りの茶事

2013年04月15日 15:31

2013年4月7日 西行法師と桜 じないまち峯風庵 夕去りの茶事

仏には桜の花をたてまつれ 我が後の世を 人とぶらわば

夕去りの茶事は初座が陽で床には花をいれます。
桜の季節には、ありがたいことに日本では桜の花は、どこでも自然に目にすることができますので、あまり茶室に入れることはないのですが、今回は初入りで花をご覧いただけるので、たぶん印象的にお客様の心に届くかと、墓参りを思わせる手桶に桜の一枝を入れました。

西行法師と桜の茶事。今年は桜の開花が早くて、花屋を探し回っても手に入れることができなくて、あきらめるしかないかと思っていた矢先に、水屋をお願いしていた方の家の前の桜木にトラックが突っ込んで大きな枝を折り取って通り過ぎたとのことで、さっそくお持ちくださいました。
いつもは花を入れるのが苦手でもたもたするのですが、今回は、選んだ枝がそのまま自然に花入れに収まってくれました。桜はなんて美しいのだろう、なぜこんなに美しいのだろうと、思わず床の前に座り込んで見つめていました。

... 後日、お正客様から、うれしい礼状をいただきました。

「床のきらめく水滴に包まれた・・・桜花の美しさ・・・・

外で見た桜も素敵・…しかし、なぜにあのように床の桜花が美しく見えるのか・・・

おそらく 西行さんも喜んであの場に参加していたから なのではないでしょうか・・・・・」

辻邦夫の小説「西行花伝」のラストのページに、弟子が書き残しているのが冒頭の西行の歌です。
桜の花に陶酔る日、ぜひその花の一枝を、わが師西行に献じてほしい。師は機嫌のいいある日私にこんな歌を示されたから・・・と。

西行法師を思うとき、高貴な女性とのかなわぬ恋の話が出家の原因ではないかとの説もあり、お茶では恋や思慕の話はご法度なので、避けて通ってきた西行ですが。私の庵のある富田林じないまち(国の重要伝統的建造物軍保存地区)からすぐそばにある、弘川寺が西行法師終焉の地であることから、今年2月雪の日に弘川寺を訪ね、没後500年以上たってから発見された西行さんのお墓(塚)にもお参りしてきました。
73歳で下記の歌のとおり旧暦2月16日、桜の咲く望月の日になくなっています。

願はくば 桜の下にて 春死なん そのきさらぎの望月のころ

今年の3月16日(旧暦2月16日)は、例年より早く桜が咲き、満月でしたので、西行法師のことを思い出す方々も多かったことと思います。

今回は、西行さんを訪ねてまずは弘川寺にお客様をご案内し、母から受け継いだちらし寿司で昼食、そして、簡単にお茶一服という、ピクニック茶会も事前にご用意しました。ご住職様のご好意で、本堂の廊下をお貸しいただき、桜の花吹雪の中での、お茶会です。
春と秋に少しの期間、公開される西行記念館の展示も見事なコレクションで見ごたえがありました。
私も始めてでしたが、なんと、記念館を入ったすぐの展示が西行法師の旅姿の木造。
実は、夕去りの茶事の待合には、私も旅姿の僧の色紙を掛けておりました。いつどようにして私の元にきたものやら、もうすっかり忘れていたものを思い出して掛けてみたものです。

いろんな不思議、いろんなお力によって、今回の催しが自然に整ってゆきました。

茶事では、西行の生い立ちや偉業も交えて、いつものことですが私の数少ない道具にそれらの物語を語ってもらいながら、ボツボツと西行さんと桜にお客様にも思いをはせていただければと。

西行にとって桜は、早くになくした母の面影、かなわぬ恋のお相手の美しい女院の面影であったかも。
西行の歌の半分以上は桜の歌であったといわれています。
その思いはいつしか透明に昇華して、最晩年には円が閉じるように歌に歌うことをやめられています。桜や月は言葉に表さなくても、もうそのままで歌なのだと。

初炭で使った香合には「空」の文字が描かれているものを使いました。
西行法師の生きざま、歌の到達点を、私は「空」と見ました。

稽古茶事ではなく、私のおもてなしの茶事ですので、写真は一枚も撮りませんでした。
弘川寺の写真を一枚だけ紹介させていただきます。
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